「ウラジオストク」ってどんな意味?込められた領土への思い

「ウラジオストク」ってどんな意味?込められた領土への思い

ロシア極東に位置するウラジオストクは、ソ連時代は重要な拠点として外国人の立ち入りが禁止されていた閉鎖都市でした。

ロシア極東に位置する沿海州はもとは清朝の領土でしたが、北京条約によりウラジオストクがロシア領となったのは1860年

ロシアとなって160年ほどの歴史を持つ国ですが、ウラジオストクという都市名には領土になった当時のロシアの思いが込められていました。

 

ウラジオストクとはどんな意味?

 

参照元:https://journal.tinkoff.ru/vladivostok/

 

ウラジオストクはロシア語では「Владивосток」(ヴラジヴァストーク)と言い、「支配する・所有する」という意味のヴラジ(влади)に方角の「東」を表すヴァストーク(восток)の2つの単語が組み合わせられている造語です。

直訳をすると「東を所有する」という意味になりますが、ほかにも「東を支配する」という強い意志が込められているとも言われています。

ロシア語で東を支配するウラジオストク

ロシア語で東を支配するの意味のウラジオストクですが、清朝からロシア領に組み込まれた1860年に首都だったのは今のモスクワではなく、フィンランドの国境にほど近いサンクトペテルブルクでした。

モスクワよりもさらに西に位置するサンクトペテルブルクから見て、遥か遠くの東に位置するウラジオストクのある東を支配するという領土への意識の高さが都市名に表れていますね。

ウラジオストクとはどんな都市?

日本から最も近いヨーロッパと言われるウラジオストクは、海と丘に面した風光明媚な美しい都市です。

歴史を感じる建物も街のあちこちで見つけることができ、カラフルな建物が街を彩っているので観光客にとって嬉しい撮影スポットが数多くあります。

ソ連時代に入ると外国人の立ち入りを一切禁ずる閉鎖都市となりましたが、現在では外国人に人気の観光地となり、閉鎖都市だった当時を知ることができる歴史的名所も数多く見ることができるようになりました。

ウラジオストクの気候

ウラジオストクの気候は亜寒帯冬季少雨気候に属しています。

10月の終わりごろから3月まで長い冬の期間となり、極寒期にはマイナス30度になることもありますが、積雪量はそれほど多くありません。

その一方で夏場の気温の高い日は30度を超えることもあり、1年を通して気温の差が激しい気候です。

長い冬のあと短い春、夏が訪れ 1年で最も降水量の多い時期に。

夏が終わると短い秋が訪れ、やがて長い冬に突入と明確ではないものの一応四季を感じられる気候です。

 

ウラジオストクの意味に隠された歴史

東を支配する・領有するの意味のウラジオストクですが、ロシアになる前は他国の領土でした。

アロー戦争が終結することで、ロシアが領土として得る機会を得たのです。

かつては外国の領土だった

1860年に北京条約によってロシア領になる前は、ウラジオストクのある沿海州は清朝の領土でした。

1856年に始まった第2次アヘン戦争ともいわれるアロー戦争が1860年に終結し、ロシアの仲介で清朝がイギリス・フランスと講和条約を結ぶことができました。

その成果を作ったロシアが報酬として清朝に沿海州の領土を認めさせたことから、ウラジオストクを含む領土が割譲されることに。

ソ連時代は外国人立ち入り禁止の都市

1916年に起きたロシア革命により、共産主義を標榜(ひょうぼう)するソ連(ソビエト社会主義共和国連邦)が建国されました。

ソ連で有数の不凍港(凍らない港)を持つウラジオストクは海に出るのに勝手がよく、太平洋艦隊の拠点が置かれることに。

機密情報が外国へ漏洩するのを防ぐため、ソ連時代は外国人の立ち入りを禁止した閉鎖都市となりました。

 

標榜・・・主義や主張を公然と示すこと

自国民であっても立ち入れない場所も

巨大な砲台などが置かれ都市近郊を防衛する役割のルースキー島など、当時の防衛拠点はソ連民であっても立ち入りが固く禁止されていた場所もあります。

情報の漏洩を恐れ情報統制を徹底していた旧ソ連は、主要な建物周辺など自国民であっても立ち入ることや近づくことを禁止としていました。

ソ連時代も終わり外国への開放がなされたことで、現在では外国人でもウラジオストクを訪れることができますが、歴史的意味のある場所が街のあちこちに残されています。

 

ウラジオストクの歴史的意味のある名所

参照元:https://journal.tinkoff.ru/vladivostok/

 

ソ連時代の歴史が見られるC-56潜水艦博物館や要塞博物館、ルースキー島のヴォローシロフ砲台博物館などが人気ですが、今回は軍事関連の歴史的名所以外で歴史的意味のあるスポットをご紹介します。

ニコライ二世凱旋門

金角湾大橋にもほど近い記念公園にあるのがニコライ二世凱旋門。

ロマノフ朝の最後の皇帝「ニコライ二世」がウラジオストクを訪れたことを記念する門で、結婚式の人気撮影スポットにもなっています。

すぐ近くにはC-56潜水艦博物館や永遠の炎で有名なアンドレイ教会もありますので、あわせて観光するとよいでしょう。

ウラジオストク駅もソ連時代以前に開業

ウラジオストク駅の開業は1893年で日本では明治時代でした。

ソ連が設立されるよりも前に開業したウラジオストク駅も、大きく変わるウラジオストクの歴史を見守ってきた場所です。

古代ロシアの宮殿を模したクラシカルな外観は、1912年の大改築された姿がそのままの形で現在に残されています。

ロシアでの初サミットのための建築物

2014年にロシアで初めてAPRCのサミットがウラジオストクのルースキー島で行われました。

歴史的なサミットの跡地は現在ロシア極東地域で最も伝統のある極東連邦大学の移設がなされ、移設に伴って学生寮などの建設も行われたことで新たな街並みを作り上げています。

極東連邦大学は語学留学など外国人の受け入れも積極的に行っている大学で、大学の敷地内に学生寮がある利便性の良さから外国人にも人気のある大学です。

 

東を支配するの意味ウラジオストクで歴史に触れよう

参照元:https://journal.tinkoff.ru/vladivostok/

 

東を支配する・征するの意味のウラジオストクは、当時の国の思いが入った都市名です。

ソ連時代の閉鎖都市としての過去など歴史の荒波を乗り越え、現在では外国人にも人気の開けた都市へと変わりました。

新旧の建物が立ち並ぶウラジオストクは、至る所で歴史に触れる機会のある都市。

観光に訪れる際は是非ともウラジオストクの歴史に触れてみてください。

 

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